†任国外研修旅行4†
〜マラウイ編〜

1999.11.15


おかたかより

色々ありながらも、旅行は後半、いよいよ最後の訪問国マラウイです。


 十四日目

 昼前にドミトリーを出て同期隊員に連れられてゾンバへ。途中でリロングエに行くための長距離バスの予約をして、買い物してローカルバスで向かう。ブランタイアから2時間くらい。眠かった。ゾンバに着く。穏やかな街だ。高地なので坂が多い。普段海抜0メートルにいる"おかたか"にはちょいとキツイ。御世話になる隊員に挨拶して、マラウイ大学派遣されている隊員の活動見学。

 十五日目

 ここブランタイアでは村の活性化のためにこの地区の隊員が協力し、運動会を開いた事がある。これが好評だったらしく、運営を少しずつ現地人に任せながら月に一度くらい開いているらしい。普段の自分の仕事以外にこう言った活動をしているのには頭が下がる。この日はその運動会に行く事になった。開会式前には到着したが、責任者がいないと言うので開始が遅れた。しばらく待ったものの、近隣の生徒が集まり出したので2時間遅れで開会式。そしてクロスカントリーが始まる。"おかたか"参加するもバテバテ。5kmくらいを28分。めちゃしんどかった。この後、砲丸投げ、槍投げなどが行なわれたらしいが、"おかたか"はぐったりしていた。
 昼食は現地で用意してくれたシマをいただく。今回の旅行ではタンザニアの
”ウガリ”(穀物の粉を茹でた、アフリカの主食。)に当たる料理を各訪問国で食べ比べた。ザンビア、マラウイは”シマ”。ジンバブエでは”サザ”と言う。タンザニアのウガリが一番硬めで"おかたか"には向いている。(体が慣れたのかな?) 昼休みに子供らに”羽ばたく鶴”を折ってやる。言葉が通じないものの喜んでいた様だ。

 午後のプログラムは空手ショー、寸劇、トラディショナル・ダンス、サッカーである。空手ショー、以前に空手の隊員が入っていたのかと期待していたが、どうやら中国のカンフー映画を見て覚えたらしき内容だった。子供達の真剣さについ微笑んでしまう。寸劇はチェチェワ語(マラウイの現地語)で演技していたので内容は分からないものの、なんだか笑える。内容はエイズ防止などの社会風刺だそうだ。"おかたか"たちが帰る頃になって、サッカーが始まる。ここまで来たら参加せねば。15分ほどで帰ろうと思ったが、誰も声をかけてくれず45分はプレーしたそうだ。もう体はボロボロ、ゼイゼイ言いながら運動会を後にした。

 十六日目

 体が重い。ブランタイアへの帰路中ずっと寝ていた。同期隊員にバス停まで見送ってもらい、夕方リロングエにつく。
 夕食。この日は日本から四国の視察団が来ていて中華料理を食べに行く。乾杯の後、マラウイ事務所の人達に挨拶をする。ちょうど調整員、医療調整員の入れ替わりの時期らしい。"おかたか"はマラウイ隊員と話をしていたが、新任の医療調整員が近くを通ったので挨拶をする。
「始めまして、タンザニアから任国外研修旅行できています。"おかたか"です。」「!えっ!?あらやだ、日本の方だったんですか?」「は?まぁ一応日本人を長くやってますが…。」「あら、私ったら。いえね、あまりにも黒くて…。」「ええ、まぁ海の近くに住んでいるんで…。」「それにさっき、近くを通りかかったときに、日本語がたどたどしく聞こえたもんで…。」「はぁ。そ、そうですかぁ…。」フォローにならない言い訳をして急ぐように新医療調整員は去って行く。隣にいた隊員は腹を抱えていた。日本人としての自信を無くしつつある"おかたか"であった(笑)。

 十七日目

 電気機器で派遣されている同期の”A”隊員に連れられてリロングエ工科大に行く。ここまでで大学を3校見学した。ダルエスサラーム大学は嫌いなので(何故でしょう?)比べようがないが、大学と名のつくところはそれなりの設備が入っている。彼に学校を案内してもらう。こじんまりした感じだが、敷地は広いよく整理して計画的に作られたのだろう。レンガ造りの建物が良い。実際に授業を見られなかったのは残念だ。
 家に戻るとバスケットボールの”F” 隊員が来ていた。早速彼の活動を見学しに行く。ここでもまたいっしょにプレーをさせてもらう。コートは公式のものより少し狭く、ボード、リングは手作り。裸足のプレーヤーが多いが、良く走る。パスもきちんとするし、ディフェンスもサボらない。良い感じ。ここと比べると我が
Rangersは恵まれている。リバウンドを取りに行ったときに足首をひねったので止める。疲れた。

 十八日目

 この日は以前ザンジバルに来た”Y”隊員の任地、カスングを訪問する。偶然、休暇を取って日本からマラウイに遊びに来ていたOBと同行させてもらった。遊び疲れか、道中はほとんど寝ていた。
 一息して”Y”隊員、”S”隊員の病院へ見学に行く。田舎の割にはしっかりした総合病院だった。一応の部屋は揃っている様だ。手術室を身に行く。部屋からドクターらしい人が出てくる。ベッドには患者らしい人。
「ようこそ、いらっしゃい。」と"おかたか"と握手。そのまま部屋に帰って手袋して仕事にかかるらしい。アフリカの衛生観念についてまたまた考えさせられた。手術前の医者が手術室から出てきて握手するか?そして手も洗わずに…。
 この日の”Y”隊員宅は御客が多かった。マラウイ隊員三人、OB1人、タンザニア隊員1人、日本人旅行客1人、イギリスのボランティア2人。写真はイギリスのボランティアと、”Y”隊員が遊んでいたアフリカの伝統ゲーム
”BAO”

 十九日目

 OBが頼んでいたタクシーが時間通りに迎えに来た。偉い!四人でカスングを後にする。OBはこのままブランタイアに飛ぶと言うので三人でリロングエの街まで行く。このうちの一人がシステムエンジニアでマラウイに派遣された隊員でついでに職場を訪問した。見学前に行った韓国人の店は美味かった。カッパえびせんのようなスナックも売っている。あなどれん。

 千秋楽

 とうとうタンザニアへ帰る。朝起きてからボケッとして、買い物に出かける。残ったマラウイ・クワッチャで何か買おうと思ったが、結局食料品になった。昼前に空港へ向かい、無事リロングエ出発。あっという間にブランタイアに着いた。30分ぐらい遅れてマラウイを発った。夕方、無事にタンザニア到着。エアタンの事務所に怒鳴り込もうと思ったが遅いのでやめた。暗くなったのですぐにタクシーを拾ってドミへ。久しぶりのスワヒリ語。いい感じだった。

 感想

 四つの国のうちタンザニアでは物流が違うのだと感じた。タンザニアはケニアの方から品物が入ってきていて、他の国では南アフリカから品物が入ってくるようだ。皮肉にも4カ国のうち、一番最後に独立したジンバブエが一番栄えている。また、植生が海岸と、標高の高い土地とで変わるので変化が楽しかった。それぞれに、それぞれの良さを持つが"おかたか"はザンジバルが一番好きだなぁ。


おかたかより

 本当に良い息抜きでした。
と同じに、国境を越えただけでまったく違う雰囲気だなぁと感じました。
そうかと思うと、似ている単語を使っていたりと、本当に楽しかったです。
この旅行ボケの頭でまた仕事を始め、報告書も提出しなければならないので少し憂鬱です。

各国で御世話になった皆さんに大感謝!
そしてまだ来ていない人は
Karibu ZANZIBAR!


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