†任国外研修旅行3†
1999.11.15
おかたかより
ビクトリアフォールズでもかなりタンザニアとのギャップを感じたのですが…。
ジンバブエ、ここは本当にアフリカなの?
コンビ(市内バス)に乗り街の中心へ。なんだここは?!!本当に自分が田舎もんになった様だった。新宿の様だと言うのが当てはまる。本当に、本当に溜息だけだ。今日からストライキが始まったらしく、飲食店は閉まっているところが多かった。それでも開いていたデパートの屋上のレストラン(デパート?信じられん!その屋上にレストランだと?)で食事を待っていると、下の方から大きな声がしてデモ行進している。少し怖かった。食後もデパート内で、警官と市民がもめていたりするので、とっととドミトリーへ帰る。
昼過ぎ、”Y”隊員を見送りがてら空港へ。紛失物取扱所へ行く。まだ届いていないが、明日の便で届くとのこと。安心して良いのだろうか…?
八日目
昼前に空港へ行く。紛失物取扱所のドアを開けたとたん、
「Mr.Okano、おまえの荷物が届いたぞ。」"おかたか"うれし泣き(笑)。まさに1週間ぶりの着替え達とのご対面。何も盗まれていない様だ。係員に紛失の証明を貰い、エアタンへの復讐に燃える"おかたか"であった。九日目
グレートジンバブエに向かう。世界遺産の一つらしい。同期の隊員が任地に帰りがてら長距離バスのターミナルまで見送ってくれる。雰囲気は殺伐としてタンザニアと変わらないと思ったものの、市街にもあったスーパーや、服屋などがある。スリも出るらしい。VOLVO製の大型バスでマシンゴへ向かう。いつ発車したか分からないくらい眠かった。マシンゴまでは地平線も見えるくらい広く、何もなかった。舗装道路は平らで、バスも綺麗だしで、ぐっすり眠れた。途中のトイレ休憩ではきちんとドライブインのようなところに止まる。タンザニアでは草原に止まるので大違いだ。もう一つ気がついたこと。バス停での物売りが全然しつこくない。数も多くない。不思議だった。
十日目
"おかたか"はそれほど遺跡に興味が無いので昨日の散歩で十分だった。朝ゆっくりホテルを出る。帰りはマシンゴまでコンビを使おうと思っていたので、歩いてバス停まで行く。露店の土産を見たり、話をしたりしながら、バス停へ。なかなか来ない。現地人にバナナを貰ったりしながら1時間くらい待った。ようやく来たバスに乗る。車内では席を譲ってくれたりと、田舎の温かさを感じた。マシンゴのバスターミナルに着くと、コンビのコンダクターが長距離バス乗り場まで案内してくれた。親切だ。タンザニアだったら客の取り合いになるのだが…。
ハラレに帰ってくる。飲食店はまだストライキのままらしい。このストライキのせいで"おかたか"は楽しみにしていたボーリングが出来なかった。
十一日目
街まで出かける。始めに郵便局へ行き手紙を送る。しかしまぁでかい郵便局だこと。同期隊員からもらった観光マップで街の散策。久しぶりに新宿でも歩いた感じだ。自分のために象皮の靴と、学校に煙草、お茶を買った。買って帰らないと、嫌味を言われるに決まってる(笑)。グルグルと歩き回ったもんだ。こんな近代的な街でも物乞いはいた。スーパーの中にも物乞いのガキが入ってきて、金くれといわれたのには閉口した。なんとも言えないギャップである。
十二日目
ジンバブエの隊員が勧めで
WEST GATEへ行く。街からコンビで15分くらい。またもや信じられない光景だった!まるでディズニーランドの入り口のようだ。いろんな物が売っている。工具、音楽関係、スポーツ関係、電化製品、etc。3時間ほど歩き回った。映画館もある。ここでもビデオを撮っていたら警備員に止められた。減るもんでもないのに…。十三日目
ジンバブエ最後の日。飛行機に乗る前に、嫌な感じがぬぐえない"おかたか"。チェックインの時間より早めに空港につく。ジンバブエ・ドルがあまったのでタクシーにチップをあげた。空港内で掲示板を見る。電光表示の案内板に感心しながら、自分の飛行機を探していると…無い?!おいおい、リコンファームはしたぞ!昨日時間の確認も入れたのに!
"おかたか"のチケットは13:00発のブランタイア行き。表示はフライト番号も違うリロングェ行き。
おかたかより
ブランタイアはマラウイの第2の都市です。
僕がここのドミトリーを訪れたとき、マラウイで動物病院を開業するため、
日本から舞い戻ってきた、獣医師のOGがいらっしゃいました。
彼女の様に隊員の中には一度日本に戻り、再び自力で任国に帰る(?)人もいます。
ぼくはザンジバルは好きですけど、自ら働くとなると…。