”またまた大きな事件”

1999.1.2


おかたかより

ザンジバルに赴任して約1ヶ月、授業もなんとか波に乗り、生活範囲を広げて行こうと思う今日この頃。
爆弾テロに続き、また大きな事件が身近に起きようとは…。


9月15日〜9月30日

 ある日、朝から授業を始めて1時間ぐらいして、突然ジリジリジリッーーとベルが鳴る。
おかたか:「何が起こったんだ?緊急事態か?」。生徒:「そうだ緊急だ」。
 
(ちっ!機械の使い方が悪くて火事でも起こしたか?と思いつつ)「こんな時にはどう言うふうに指示されてるんだ?」。 とりあえず外に出る」。(そりゃそうだ)校舎の外に出る。生徒は皆なんだか朝礼のように並んでる。
なんか緊急事態ですか?先生:「ええ、重要なお客が来るんです。(なんだ、緊急事態だと言うから事故か災害だと思った。)「誰が来るんですか?”スワジランド”の国王が来るそうな。

 そして話が終わり、授業再開と思いきや。生徒たちは皆荷物をまとめて学校から出て行く。
??なんで?皆どこへ行くの?お客を迎えるために空港へつながる道に出て迎えるんだ。授業は?多分今日は終わりだね。へ?とりあえず自分も行って見る・・・。空港からの道に生徒たちが並ぶ。パレード自体はほんの10分ぐらい。一応体験はして、家に帰る。そんなことですぐ授業がなくなると、シラバスが終わらないでしょうに…。

 その日の夕方、K隊員がバスケットボールを持っていたのでそれを借り、一応ジャージをはいてバスケットコートへ行った。ボールも持っていったので仲間には入れるだろう。練習に参加し、初めて5on5に参加してた。ピースコープからきているアメリカ人が一緒だった。ロバートさん。仲良くなっておこうっと。疲れたけどやっぱりいいねぇ〜バスケット。

 ある日、お世話になった調整員が帰国するのでお別れ会に参加するため首都に上がった。
ドミトリーに着くとすぐ、
JICA専門家の強盗殺人事件の話を聞く。ショックだった。彼女は僕達と同じ時期にタンザニアに来て働いていた。まだたった3ヶ月なのに…。同期の隊員の一人は同郷だったらしく、出国前に食事も一緒にしたことがあるそうだ。僕達がここに来て1ヶ月に一度大きな事件が起き、日ごろの行いが悪いなどと笑っていられなくなりました。来月はもっと身近になにかあるのでは?と不安になりました。
 葬儀に参加しつつ、もっと安全に注意を払わなくてはと心に思いました。あらためてご冥福を祈ります。

 そんなまたある日、夕食を食べにローカルな食堂へ行ったその帰り、バスを待っていると一緒にいた隊員が「きゃ!なに?!」と言う。振り向くとタンザニア人が隊員の手を引っ張っている。何をしているのか解からなかったが、(日本的に考えると、酔っ払った親父が嫌がる姉ちゃんの腕を引っ張ってる感じ)とりあえず引き離した。睨んだもののヘラヘラしていたのでやっぱり酔っ払いかと思った。その後どうやら腕時計をひったくろうとしていたのが判明。未遂になって逃げるでもなく、ヘラヘラしていた表情を思い出すといまだに頭に来る!一つタンザニア人が嫌いになった出来事だった。


おかたかより

 9月の後半はザンジバル初の風邪を引いた。
気温が暑い上に熱が出て、寝つきが悪かった。
ザンジバルで治安の悪い話はまだ聞いていないが、首都ダルエスサラームは最近物騒である。


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