∽海外で初めての誕生日∽

1999.6.2


おかたかより

最近、他の国に派遣されている同期隊員から
事故、盗難、怪我、任期短縮、別れた、現地特有の病気になったなどの連絡を良く受けます。
どこにいても、健康(精神共に)第一です。
そう言った自分を支えてる要素がきちんとしていないと
何もできないもんだなぁと思う今日この頃です。まぁ今更なんですけどね(笑)。


電話が付いた!
 去年の8月。赴任してすぐに電話局に行って接続の予約をした。それがやっと取りついたのだ。日本への彼女へ連絡を取るために付けたのだが、時すでに遅し。やっぱりPolrpole。

8月の電話局の回答:「今は回線が空いていないが、交換機の増設をしている。11月頃には工事も終わるから手紙で連絡するよ。」
 11月まで待つ。しかし一向に工事の気配がない。家の周りに電話局の車が通ったのも見ていない。そこでもう一度聞きに行く。

11月の電話局の回答:「街の中心の方から順々にやってるからもうちょっと待っててな。本土の方からも応援に来てもらってるし。1月には繋がるよ。」
 そしてラマダンが始まり、人々は仕事をしなくなる。"おかたか"は水なし、マラリア、歯の異常と電話どころではなかった。そして3月末、校長が
「今電話局で接続の手続きをしてるから行って来い。」と言うので飛んでいった。手続きを済ませて、電話機を買って、契約料を払い後は工事を待つだけ。

3月下旬の電話局の回答:「来週には工事しに行くから家で待っててくれ。」「昼間は仕事だ。」「そんなに時間は取らせないから。」「来週のいつだ。」「多分月曜か、火曜だ。」「分かった。」
 校長に事情を話し休ませてもらうが、これまた全然来ない!水曜から週末は仕事に行った。帰ってきて警備員に聞くと「来てないよ。」ガックリ来て次の週、また問い合わせに行く。

4月上旬の電話局の回答:「とっくに金も払っているのにいつになったら工事するんだ?」「どこに住んでんだっけ?」「MAZIZINI!」「そうか、そろそろ行くはずだ。ちょっと中へ入ってボスに聞いてくれ。」奥に行く。「ボスはいるか?」「今出かけてる。」「何時かえって来るんだ?」「知らん。」「…。」
 もう電話を付けるのもやめようと思ったが、最後の手段。留守中に("おかたか"は歯の治療、研修会のため家を留守にしなくてはならない。)警備員にカギを預けることにする。「何か盗まれるかも知れないが、本当に大切な部屋はカギがかかっているからいいや。」と出かけた。

 そして5月1日に帰ってくると、付いているではないか!!いや〜嬉しかった。そして警備員に聞く。「あいつらいつ来た?」「昨日来たなぁ。」「…。」
 
申し込んでから10ヶ月。日本ではこんな事にならずに予定を組めるのだが、タンザニアでは一つ一つ確実にこなさないといけない。仕事以外の事に気を使うので本当に疲れる。本人達はそれが当たり前なので"おかたか"のように焦ったりしない。そういった心のゆとりは、あくせくしていつも忙しい日本人よりは大いにあるが、そんなくせして先進国に追いつこうとするのだから参る。今までのやり取りで電話局から「ごめんな。」の一言もない。前回に引き続き”謝らないタンザニア人”。本当に神様がやった事だと思ってる。彼らには「お客」と言うものを軽視している様だ。商売は「買ってもらう。」のではなく「売ってやってる。」と言う感じ。おまけに”Time Is Money.”が分かってない。そんなんで金がないだのなんだの言って欲しくない。なまじ電気、電話などあるからいかんと思ったりもする。

ついでに腹の立つJICA
 僕達が赴任した頃にはアメリカ大使館の爆破事件があり、事務所が隊員と連絡を取るために「接続料は経費で落とすから、出来るだけ電話を入れてくれ。」と言っていた。その言い付けを守るがべく手続きを済ませたのだが、今年になって東京の経理からクレームがついたらしい。「事務所と隊員との連絡のために無線を使用する事になっているんだから電話の接続料を払う必要はない。」とのことである。まったく…。これはきちんとそういう連絡網を完備している状態で言うセリフであって。無線をきちんと配備もしていないのにどうしてこんなことが言えるのか分からない。ちなみに"おかたか"の家、ザンジバル島内でしか使えない無線で、事務所からの連絡も”K”隊員から中継になる。
 途上国に来て電話なんて贅沢だと言う意見もあるだろうが、隊員はどちらかと言うと事務所と連絡は取りたがらない。緊急のときに困るのは(本人もだが、)事務所である。ないものはしょうがないが、有るものは利用した方がいいと思う。大出力の無線を買うより、電話設置料の方が安いのに。なんで、良く知りもしない東京からクレームがつくのだろう?カンボジアの隊員は無理やり携帯電話を持たされているらしいのに。(ほんとに危ない国なんだろう。)
 ここへ来て協力隊も(始めから分かっていた事ではあるが)お役所仕事の一環でしかないんだなと実感する。

その他小話

 タンザニアはただいま雨季。今までは思いっきり降った後にカラッと晴れたのだが、雨季の真っ最中は晴れる前にまた思いっきり振る。こんな季節やっぱり不衛生になるものだ。
 "おかたか"は普段、昼食を現地の食堂で食べる。喉が乾けばその辺のジュースを買って飲む。ほとんどの店は大きなバケツに水を汲み置きにしてその中で食器を洗う。汚くなるまで水を取り替えない。

 そんな中、今まで大丈夫だったのに今月はとうとうほとんど水のような下痢になってしまった。思い当たる事が多くてどの店が原因かわからない。とりあえず外での食事を止め治まるのを待つ。それからまた思い当たるところで食事をしたら見事当たった。昔の人のように自らの体で危ないところを探さなくてはならないタンザニアであった。(笑)写真はその原因の店と、タンザニア食、ワリ・ニャマ(ご飯を水と油で炊いたものに、牛肉・トマト・玉ねぎを煮込んだスープをかける。それにムチチャとよばれる野菜の炒め物)

 誕生日
 とうとう○○歳の誕生日。いつもと変わらず学校へ行く。授業も普通に終わったが、。やたら修理品の多い日だった。誕生日の前の週末に他の隊員とホワイトサンズホテルからボートをチャーターして島へ行って泳いだ。「次の誕生日まではタンザニアにいるわけだ。」と思うと、どんなになるのかまた楽しみになってきた。タンザニアにも外国人向けの綺麗なホテルが結構ある。この日は雨上がりの後のせいか、海が濁っていた。

   


おかたかより

今月の終わり、いきなり一人のタンザニア隊員が帰国する事になりました。
理由は知りません。いろんな職種、同じ国でも違った環境いろいろあるでしょう。
ただ、本当にいきなりだったんです。一言「帰ります、お元気で。」
と言って欲しかったなぁ。さみしい。
とにもかくにも今は上調子、がんばるぞ!


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