∽Bahati mbaya sana!∽
1999.7.4
おかたかより
「健康第一」とか「上調子」などと言いいつつ迎えた6月。
この月は年に一度の隊員総会などもありまして楽しみにしていた月でした。
何か楽しい事があるとそれに向けてふだんのがんばり方も変わる、なんて経験はありませんか?
僕は結構そんな性格なんです。ところが…。
※「Bahati mbaya sana」:とっても運が悪かったのね。
"おかたか"が楽しみにしていた行事。
4日〜7日:ダイビング講習。最終日の夜、みんなで中華を食べに行く。
8日:同期隊員とトもにスパイスツアーに行く。夜は"おかたか"の家ですしパーティー。
9日〜11日:隊員総会。10日の夕方はバスケットの交流試合。
タンザニアでは年に1回”隊員総会”と言うものが行なわれる。タンザニア全隊員が集まって日頃の活動の報告や、親睦を深める行事である。毎年6月に行なわれるので7月に赴任した"おかたか"達にとっては初参加であり、楽しみにしていた。普段は遠いところにいる隊員の話を聞くのはきっと良い刺激になるからである。しかも、今年はザンジバルで行なうと言うので地方の隊員は早めに職場から休みをもらい、総会前後に遊びに来ると言う事だった。"おかたか"と”K隊員”はザンジバルの住人なので、レクリエーションのために交流試合を組んだり、内陸の隊員のためにすしネタをしこんだりともてなす準備をしていた。授業の方も1週開けるので宿題を用意したりといつもよりやる気があった。そして4日、5日とダイビングの講習も半分を終えたのだが…。
再び高熱を出す"おかたか"
この1週間のを楽しみにしていたのによもやここでダウンとは…。
6日早朝。なんだか知らんが調子が悪い。頭もボ〜っとする。熱を測ると39.2度。節々も痛い。「以前こんな経験したな。」と考えていた。そう、マラリアのときと同じだ。ただの風邪であります様にと思いながら
午後になり
”K隊員”に起こされる。日曜に開いている病院を見つけてくれた様だ。そして病院に。マラリアチェックは陽性。すぐに点滴をうたれ、治療薬を筋肉注射される。お尻に2回。後で聞いた話しだが、途上国の診療所レベルでの注射は危険らしい。タンザニアではプライマリースクール(小学校ぐらい)を卒業して2年間のナース・スクールに行くと、診療所では雇ってくれるらしい。解剖学の知識も乏しいのに注射を打ててしまうのである。と言う事は筋肉注射のときに神経を破壊する可能性が大きいのである。"おかたか"は危うく下半身麻痺になるところだった(?それほど大げさでないのかな?)アメリカのボランティアは絶対に注射させないそうである。その後首都の事務所と連絡がとれ、飛行機で首都へ行く。手配は全て
”K隊員”がしてくれた。飛行時間は15分だったらしいが、もっと長かった気がする。事務所に着いて、MC(医療調整員)が様子を見て入院決定。情けなくなった。この日
”K隊員”はずっと付き添ってくれた。病室に入って(今回は個室)から24時間中に23回もトイレに行った。熱は39度当たりをうろうろ。そして”K隊員”は朝一でザンジバルに戻る。総会の準備のために。3日後ぐらいに熱が38度ぐらいに下がった。かなり楽である。おまけにこの病院での血液検査ではマラリアは陰性だと言う。何が正しいのか良く分からなくなった。自分では元気になったつもりだったのでMCに
「隊員総会に出させてくれ。」とお願いしたら「冗談はよして!!」と怒られた。熱は38度くらい。しかも血液検査での結果で感染を示す値が正常時の100倍の数値だったらしい。今回の病気は腸感染による下痢だそうな。話によるとタンザニアのウイルス(菌かもしれない)は強毒性で感染能力が高いらしい。しかしながら抗生物質には弱いらしく、この数値もすぐに下がった。結局、四泊五日の旅だった。嬉しかったのは総会に行く前にお見舞いに来てくれた隊員が何人かいた事と、差し入れのおにぎりであった。梅干のおにぎりの本当に、本当に美味しい事。日本人であることと、日本食に感謝。他の運が悪い話。
"おかたか"が退院した2週間後に定期健康診断があった。その結果を聞いた日の夜のこと。
偶然にも6人の男ばかりでドミトリーの近くに出来たイタリアンレストランに行く事になった。他の隊員の評判も良かった。なかなかしゃれた店で、外国人向けの店だった。経営も外国人であろう。
pm7:00
オーダーする。前菜とワイン、メインディッシュ。このとき店内は"おかたか"達だけだった。前菜とワインは少し待ってから来た。なかなか美味しい。飲みながら、最近の活動の話とか、新しい日本の情報などで会話は進んだ。
pm8:00
なかなかメインが来ない。後から来た客にはなんだか来ている様だ。なんだかやたら遅い。接客の責任者らしき外国人は気になったらしく
pm8:30
我慢の限界。ある隊員が、
pm9:00
そのままドミトリーに帰るのはしゃくなので、もう一つ、最近出来たと言うカレー屋に行く。店は日本のファミレスを思わせる作りで、タンザニアにしては上出来だ。他の隊員の評価も良い。席について太っちょのタンザニア人がオーダーを取る。メモを持ってない。
pm10:00
pm10:30
pm10:45
食事が来た。
結局最後のオーダーをして、全員が食べ終わるまでに30分しかかからなかった。店を出たのが11:00。乗合バスの最終も無くたらたらと歩いてドミトリーに帰った。またしても謝らないタンザニア人だった。
注釈:タンザニア人が謝らないのはお互い様かと言うとそうではない。やっぱり自分が待たされたり、自分のものを傷つけられたりすると怒る。ひどいときには「ごめんなさいと言え!」などとほざく。しかし、自分のときには決して謝らない。日本人のすぐに謝ると言う文化は批判もあるらしいが、どう考えても国際的文化にして良いと思う今日この頃であった。”悪いことしたら素直に謝る。”当たり前の様でなかなか出来ていないかもしれない。
おかたかより
こうして僕の6月最大の楽しみは奪われたのでした。
後で聞いたのですが、入院3日目ぐらいのときに
”K隊員”も同じような症状が少し出たそうです。最後に、僕の看病と2人でやるはずだった諸々の準備とを全てこなした
”K隊員”に大感謝!
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