*Karibu〜語学訓練まで*

1998.12.25


おかたかより

やっとタンザニアに到着。周りは黒人だらけ、すれ違う人々は珍しそうにこちらを見ている。
その視線が怖い感じ、にこやかに声を掛けられてもスワヒリ語だとわけがわからん。
どんな生活が待っているのやら…


 7月15日 〜 7月20日

 7月15日、10:23(ロンドン時間)到着。無事でよかった。途中ウガンダによったようだが、寝ていてわからなかった。タンザニア時間で14:00ドミトリーに到着。自分が思っていたほど、暑い国ではなかった。これから数日間はタンザニアでの生活についてオリエンテーションがある。長旅で結構疲れていて、聞く気が失せていた。その夜は「カリブ・パーティー」(Karibu:スワヒリ語で”ようこそ”と言う意味。写真はその風景。)があった。訓練前からタンザニア情報をe-mailで教えてくれた森野熊三氏と初対面。なんだかうれしかった。
 また、
”TANZANIA INFOMATION CENTER”(残念ながら、今は無くなっています。)と言うホームページの作者、”しまりん”さんとも会った。

  

 翌日、JICAのタンザニア事務所、日本大使館、タンザニア大統領府と表敬訪問をしてまわった。大統領府でまさか代表者として英語で挨拶する羽目になろうとは…。人生の中でも片手で数えるぐらいの緊張感を味わった。これから協力隊員を目指す皆さん、語学の勉強だけはこなしましょう。(笑)
 昼はJICA事務所スタッフと昼食会。それから医療関係のオリエンテーションを行い、調整員(協力隊員をサポートする人)のオリエンテーションがあった。夕方やっと買い物へ。外は薄暗く、帰るころは真っ暗。結構怖いもんだ。この日は髄膜炎の予防注射を打った。それからファンシダールというマラリアの治療薬を飲んだ。

 ある日、ドミトリー近くの市場に買い物に出かけた。本当にここは途上国なんだと感じさせる光景だった。まだ一人で歩くのは怖い。ショッパーズという外国人向けの店にはクリーニング屋もあり、値段は高めだがいろんな物がそろっていた。僕はネクタイとスラックスを出しに行った。その日の夜遅く、先輩隊員がディスコに行くというのでついて行った。ディスコにつくとすぐに放っておかれ、一人で対応しなければならなかった。酔っ払いや娼婦のお姉ちゃんがわんさかといる中、話しが通じないのと、スリなどが多いと脅かされているため心細かった。娼婦らしきお姉ちゃんに誘われたが、趣味ではないし病気も怖い。一人でタクシーに乗って帰った。

現地語学訓練(7月21日〜8月7日)

 この期間、タンザニアの生活に欠かせないスワヒリ後の訓練を受ける。首都ダルエスサラームから南へ車で2時間ぐらいの所だ。ここには「MANTEP」と言う、先生のための研修所がある。(左の教会は隣に会ったもの。)ここで合宿形式で研修を行う。

 食事は朝、昼、晩としっかり出るが、まさにタンザニア料理だけである。右手の使い方まで教えてもらう。先輩の話を聞くと、タンザニア料理が口に合わない人にはつらいらしい。

 

 

 

 ここで日本時間の7月24日(たっこの誕生日)タンザニアからはじめての国際電話をかけた。電話をかけるにしても電話探しから何やらてんてこまいだった。夜はタンザニア文化を知るため、時々バーに出かけた。このときはじめて「ムシカキ」と呼ばれる、牛肉の串焼きに出会う。これがまたビールに良く合う!!タンザニアでは健康のためにあったかいビールを飲むそうだ。一応バーでは冷たいのか欲しいのか、暖かいのが欲しいのか聞かれる。一応冷たいのも飲める。
 ある日同期隊員のつぶした蚊がハマダラ蚊(マラリアを媒介する蚊)であり。恐怖を覚えた。他には、初めてタンザニアの葬式を見た。人が死んで3日後には歌って飲んで食べると言ったやり方だった。ほかの部族になると家の中央で遺体を白いシーツの上に寝かせ、遺族は外で寝たりするらしい。

 またある日は「KAOLE RUINS」というところに行った。ここは「地球の歩き方(東アフリカ編)」に載っていて、そこそこ歴史ある所らしいが、まぁまぁだった。
 またまたある日は、いきなり雨が降る。こっちの雨はすごい。降るときはドバーっとくる。まさにバケツをひっくり返したかのよう。その日はタンザニア料理にトライした。前日の説明のときにやる気がなかったため、何をしたら良いかわからず、ほかの隊員に迷惑をかけたと思う。鳥のさばき方、火の扱い、包丁の使い方、衛生面など日本とは違うんだなと認識した。
 またまたまたある日、同期隊員がいっせいに下痢になる。どうも前日の町で食べた昼飯に当たったようだ。部屋の掃除などを世話してくれるタンザニア人のおばちゃん達は親身になって心配してくれる。はじめてタンザニア人の暖かさに触れた気がする。
 訓練終了が近づきレクリエーションでバレーボールなどをやる。まぁなんと勝ち負けに執着すること!熱心と言うかなんと言うか…
 最後の夜、お別れ会をする。タンザニアの形式:とりあえずみんなそれぞれに飯を食べる。食べ終えると飲み物をのみだす。(つまみは無し)その後、延々と話が続く。これが長いのなんのって。それでも途中で席をはずしても良いらしい。爪楊枝で歯をしごきながら聞く人や、大あくびを隠さずにしながら聞く人もいる。聞く態度と言うのは余り重視されていないようだ。余り長いので感謝や別れを惜しんで込み上げてきたものもしだいに下がって行く。
 8月7日、ダルエスサラームへ帰る。途中、貸与されていた携帯電話が鳴り、応答するとダルエスサラームで爆弾テロがあったとのこと。驚いた…。やっと語学訓練が終わり一息ついたところなのに…


おかたかより

なんや、かんやと忙しくも身になる内容だった。たった2週間でもいろいろなことを覚え、
これからのタンザニア生活の大きな自信となるだろう。
爆弾テロの件は驚いた、タンザニアでも十数年以来の大事件だったらしい。
日ごろの行いが響いているのかな?


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