Υ THE RIOT 続きΥ

2000.2.7


おかたかより

前回の暴動の件の続きです。


 1月20日

 朝は早めに学校に行く。昨日の出来事について他の先生達に話を聞く。彼らは昨日だけの出来事で、もう終わりだから安心して良いと言う。昼に街の食堂でピラウを食べに行く。日本人カップルがいた。一応注意を促す。ダラジャニ市場のダラダラ(ローカルバス)乗り場付近でのバラックの露店が全て強制撤去されていた。木材を蹴散らす作業員、それを見守る武器携帯の警官、それを遠巻きにした一般市民。違法営業だったのだろうが彼らはこれからどうするのだろう?

写真は撤去された後の空き地。右側の茶色い制服が警官。

 

 再公判までの話し

・道路を走っているとまた多くの警察と、その後にトラックが進んできた。また強制撤去を行なうらしい。電気街出口の方だなと当たりをつけた。昼食を済ませ、電気街の出口の方へ行く。やはり露店が撤去されていた。その辺の暇そうな警察に写真をとって良いか聞くと、結構強くNOと言われた。(写真はマサイ族の”ビーズアクセサリー”彼らもまた場所を追われた。)

「だから盗まれたんだって!」「物が盗まれたらおまえはどうするんだ?警察に届けないのか?」「とりあえず反抗現場を押さえたら捕まえて殴る!そうで無かったら自分で探す!(誰がタンザニアの警察なんか信じるか!ボケッ!とは言わなかったが…)」そんな平行線を走りながら、賄賂も考えたが引けなくなった。夕方まで粘ってやろうと決めた。担当の警官は諦めたらしく、他の奴に代わった。こいつの方がまだ英語通じる。結局1時間後釈放。情状酌量の余地はあるらしい。そんな折、今度は後ろのナンバーが盗まれた。夕方のバスケの練習に行こうとしたときだった。元のナンバーがボロボロだったので作り変えたばっかりだったのだ。もう力が抜けた。

 1月27日

 再公判の日。朝、を出ると、すでに道路閉鎖があった。それも暴動が起きた場所からはかなりはなれている。授業をなんとか終わらせて、街の様子を見に行く。裁判所周辺は閉鎖されていた。結局大きな問題は無く、道路の閉鎖だけで終わった。CCMはあと数議席を取れればかなりの発言力になるらしく、この一件でCUF党員を逮捕したかった模様。それを恐れたCUFの党員は大人しくしていたらしい。

 


おかたかより

 とまぁ、暴動当日以外は結構普通でした。
何もなかったからこそ言えるのですが、ちょっと期待ハズレ(笑)。
裁判の結果はちょっと分からずですが、2月28日にまたあるようです。

ちなみにJICAの渡航禁止令は1月31日に解けました。


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