Υ THE RIOT Υ
2000.1.23
おかたかより
1月12日をもって任期が残り半年を切り、
平穏無事に帰ろうと思っていたときのことでした。
国際的なニュースになるほどの大規模な暴動ではありませんでしたが、
これからどうなる事やら…
タンザニアは1964年4月に現在の本土
そんな中、今年(2000年)はちょうど総選挙の年となる。職場の同僚の話だと、CCMとCUFで和平交渉があったので、今回は平和に終わるだろうと言っていたが、その後にニエレレの死。CCMの力が衰えるのでは?と言うことで、ザンジバルは俄然独立意識を強くする。
暴動の背景
1年半前に、CUFの党員が18人、反政府運動で逮捕された。その裁判が延び延びになっていて、CUFの党員はイライラしていたらしい。
1月19日、やっとの事で裁判が開かれる事となった。18日のニュースで、ザンジバルの最高裁判所で行なわれるこの裁判は、誰でも傍聴できると報道した。
ここまでの事は、事件があるまでなにも知らないでいた、のん気な"おかたか"である(笑)。
1月19日
裁判の当日。最高裁判所の前にはかなり多くの人が集まったらしい。その群集を警察とFFU(Field Force Unit)が昨日の報道とは打って変って解散させたようだ。それに不満を覚えたCUFの党員らが警察官に石をぶつけたらしい。これがきっかけで暴動が始まった。警察と、軍隊は鎮圧のために警棒、催涙弾を使った。威嚇発砲もあったとか。インド人が八つ当たりで殴られたらしく、白人も被害に遭ったとか。
20日の新聞によると70人ぐらいが大怪我。警官が15人。そのうち一人は投石により重症。政府関係の車両が3台破壊され、一般の商店が2件、略奪に合った。15人ほど間違って逮捕されたらしい。暴動が始まったのは午前10:00頃。鎮圧が終わったのが午前11:00頃である。
警察側はこのようなひどい暴動を二度と起こさせない様に警備等に力を入れ、「目には目を、歯には歯を」と言う姿勢である。
一方CUF側は、政府の不必要な権力行使でわざと市民の怒りに触れるようなことをして反政府勢力の制圧を行なったと怒っている。
1月19日そのときの"おかたか"
いつも通り学校へ向かう。仕事の合間に郵便局に葉書を出しに行く。焼増しを頼みにいつもの写真屋に行ったら閉まっていた。そのまま市場の方へ抜ける。ラマダンも明けたと言うのに閉まっている店が多い。ちょっとだけいつもと違う感じだった。午前11:00の事である。
街の中心まで出る。大通りが閉鎖されている。通行止めの看板のそばにいた警察官に何があったのか尋ねる。
おかたかより
僕の語学力で新聞、住民から情報を得たので
ところどころ間違っているかもしれません。
とりあえずここまでを公開しますが、随時更新したいと思います。
しかしまぁ、よく事件が起こるなぁ。