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2000.1.23


おかたかより

1月12日をもって任期が残り半年を切り、
平穏無事に帰ろうと思っていたときのことでした。
国際的なニュースになるほどの大規模な暴動ではありませんでしたが、
これからどうなる事やら…


 タンザニアの政治(概略)

 タンザニアは1964年4月に現在の本土「タンガニーカ国」と、ザンジバル島とペンバ島からなる「ザンジバル国」が連合され、その年の10月に現在の国名「タンザニア連合共和国」となった。現在タンザニアは複数政党制で5年に一度総選挙がある。
 現在の与党は
CCM(Chama Cha Mapinduzi:スワヒリ語で「革命党」)であり、10月に亡くなった、
ニエレレ元大統領もここの党員である。この政党は本土では支持を受けている。
 一方ザンジバルでは
CUF(Civil United Front)と呼ばれる野党が指示を受けていて、将来的にザンジバルの独立を考えている。もちろん、本土側は収入源であるザンジバルを手放すはずが無い。
 そう言った訳で前回の選挙(1995年10月。初の複数政党制での選挙)のときにザンジバルは荒れた様だ。今でも政府の反政府勢力への弾圧はあるらしい。

 そんな中、今年(2000年)はちょうど総選挙の年となる。職場の同僚の話だと、CCMとCUFで和平交渉があったので、今回は平和に終わるだろうと言っていたが、その後にニエレレの死。CCMの力が衰えるのでは?と言うことで、ザンジバルは俄然独立意識を強くする。

 暴動の背景

 1年半前に、CUFの党員が18人、反政府運動で逮捕された。その裁判が延び延びになっていて、CUFの党員はイライラしていたらしい。
 1月19日、やっとの事で裁判が開かれる事となった。18日のニュースで、ザンジバルの最高裁判所で行なわれるこの裁判は、誰でも傍聴できると報道した。
 ここまでの事は、事件があるまでなにも知らないでいた、のん気な"おかたか"である(笑)。

 1月19日

 裁判の当日。最高裁判所の前にはかなり多くの人が集まったらしい。その群集を警察とFFU(Field Force Unit)が昨日の報道とは打って変って解散させたようだ。それに不満を覚えたCUFの党員らが警察官に石をぶつけたらしい。これがきっかけで暴動が始まった。警察と、軍隊は鎮圧のために警棒、催涙弾を使った。威嚇発砲もあったとか。インド人が八つ当たりで殴られたらしく、白人も被害に遭ったとか。

 20日の新聞によると70人ぐらいが大怪我。警官が15人。そのうち一人は投石により重症。政府関係の車両が3台破壊され、一般の商店が2件、略奪に合った。15人ほど間違って逮捕されたらしい。暴動が始まったのは午前10:00頃。鎮圧が終わったのが午前11:00頃である。
 警察側はこのようなひどい暴動を二度と起こさせない様に警備等に力を入れ、「目には目を、歯には歯を」と言う姿勢である。
 一方CUF側は、政府の不必要な権力行使でわざと市民の怒りに触れるようなことをして反政府勢力の制圧を行なったと怒っている。

 

 1月19日そのときの"おかたか"

 いつも通り学校へ向かう。仕事の合間に郵便局に葉書を出しに行く。焼増しを頼みにいつもの写真屋に行ったら閉まっていた。そのまま市場の方へ抜ける。ラマダンも明けたと言うのに閉まっている店が多い。ちょっとだけいつもと違う感じだった。午前11:00の事である。
 街の中心まで出る。大通りが閉鎖されている。通行止めの看板のそばにいた警察官に何があったのか尋ねる。
「Askari(スワヒリ語で「警官」、「兵士」)が沢山いて危ないから閉鎖している。」とのこと。いつも賑わっている市場周辺は閑散としている。大きな事件でもあったのかな?
 港の方に行こうと思っていたので回り道(大通りと並行に走っている東側の道へ)をする。大通りと交差している細道の出口付近で人だかりがあった。大通りの方から兵隊が歩いてくるらしい。
 野次馬の一人に聞く。
「何が起こったの?」「Askariのdemocracyだ。」「???(こりゃ、demonstrationと間違えてるな。)」
 
このときは給料問題とかで軍隊がデモ行進をしているのだと思った。野次馬根性に任せちょっと離れて様子を伺う。
 確かに兵隊が歩いてくる。しかし抗議の看板の替わりに盾、拡声器の替わりにライフル、自動小銃。ヘルメットをかぶって、後ろからは軍用トラック。武装していらっしゃる。とても給料等での抗議とかではないらしい。やけに顔が真剣だ。銃を向けて野次馬を蹴散らしている。どう言うこった?
 なんだか危ないので港の方に向かった。大通りの反対側も閉鎖されている。こんな事はザンジバルに来て初めてだ。
 すぐに逃げるつもりで港の方を回り、海岸沿いを走る。大型客船が来ている。そのせいか、いつもより多めの外国人観光客が観光を楽しんでいる。市場周辺での出来事はなんだったんだ?変なギャップだ。不思議な気分でもう一度裏道を使って市場の方へ向かう。やはり周辺の店は閉まっている。市場の裏を抜けて、閉鎖されている道に出たが、雰囲気がピリピリしているのですぐに抜けた。
 街から少し離れた交差点でバスケットのコーチがいきなり声をかけてくる。思わずブレーキをかけ、後ろからクラクションを貰った。ここで事件のあらすじを聞く。おっかない話だ。
 大通り周辺では、さっきより武器を持った警察が多くなっている。サイレンが聞こえ、ピックアップトラックのパトカーが通る。荷台には捕まった人達と警官が乗っていた。
 今日のバスケの練習はないだろうといってコーチが去って行く。ほんとに危なくなってきたな。急いで家に帰る。昼食を取ってJICA事務所に連絡。その他にもザンジバルに住んでいる日本人と連絡を取る。日本大使館からも外出を控える様に言われたらしい。
 夕方5時。街が気になる。こういう事態に好奇心が沸くのは、"おかたか"が平和ボケしている日本人だからだろうか?
 一応近所の人に様子を聞く。もう平穏に戻っているそうだ。しかし何人もの人が捕まったらしい。いつもより気を引き締め、とりあえず写真屋に行った。さっきとは打って変っていつも通り。焼増しを出す。市場周辺もいつも通り。道路の閉鎖は解かれていた。港を周って、裏道からスーパーマーケットに行く。扉が半分しか開いてない。仕事をしているのか聞いたらやっているとの事。身の危険を感じで半分閉めているそうな。TVザンジバルの放送はしていない。

 


おかたかより

 僕の語学力で新聞、住民から情報を得たので
ところどころ間違っているかもしれません。
とりあえずここまでを公開しますが、随時更新したいと思います。
しかしまぁ、よく事件が起こるなぁ。


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