∽最悪の1ヶ月(その2)∽
〜”K”MCに捧げるページ〜
1999.3.20
おかたかより
まずは予備知識から。
ハマダラ蚊
:この蚊、羽に斑模様があって特徴的です。MC
:医療調整員の事。medical coordinatorの略。”おかたか”
VS ”熱帯病+α”選手宣誓:
「私は常日頃マラリアに罹らないように予防薬を(時々忘れるが)しっかり飲み、夕方以降は長ズボンを履き、外出時には虫除けを塗って、寝る時は蚊帳の中に入っていたことを誓います。選手代表”おかたか”」第1ラウンド
試合開始前の状態は前日の肝臓の訓練で若干悪い。午前中は買い物にも行けたが、午後になって戦いのゴングが鳴る。開始早々
39.5℃のジャブ(この場合、発熱)。ベッドへ行き寝る。だんだんジャブが効いてきて体も痛くなってきた。夕飯時、他の隊員が誘いに来る。戦いの最中なので行ってもらう。21:00頃だろうか?みんなが帰ってきた。その間高熱のジャブは続く。そのままドミトリーの病室へリングが移る。ジャブのくらい過ぎでぼうっとする。防戦一方の”おかたか”。一日耐えれば勝てるだろうと考えていた。誰かがセコンド(この場合MC)に知らせた。そしてリングは病院へ。セコンドが血液検査をする。すると…第2ラウンド
対戦者の高熱ジャブは弱まるどころか
40.2℃までの強烈なものまであった。セコンドの指示で点滴を打つ。後は水をガブ飲み。汗を大量にかくので水分の補給を怠らないようにする。打たれっぱなしでフラフラする。食事も出来ない。他の隊員は下痢を起こしたり、吐き気がしたりするらしいが、”おかたか”は大丈夫だった。まだ元気はある。第3ラウンド
リングがMCの家に移る。夜中の戦いに変化があった時のためだ。相変わらず高熱のジャブを受けっぱなし。一応”解熱・鎮痛剤”でジャブに対抗している。しかし効き目は短い。レバーブローのダメージも”マラリア治療薬”で回復を試みている。空腹感はあるものの食べ物を口にすると吐き気がしてどうにも食べられない。”おかたか”呟く、
「空腹でも食べられないって悲しいね。まるで虫歯がひどくなった時みたい…。」第4ラウンド
セコンドが叫ぶ。
「おまえ、ここ2週間の内に変なもの食ったか?」どうも攻撃の仕方がマラリアとは違う感じらしい。マラリアは熱が周期的に上がったり下がったりするらしい。しかし対戦者の高熱ジャブは弱まらない。ここで”腸チフス”パンチを食らったのではと疑いをかけられる。腸チフスの症状は熱が続くそうだ。スタミナが落ちてきたので再度点滴。このへんが勝負所とセコンドは考えていた。夜中はジャブのせいで体が痛く30分毎に起きる。相変わらずこちらの攻撃は”解熱剤”しかしジャブの威力は38.0℃までしか落ちない。効き目が切れると39.0℃を越す。しのぎ切れるか?(写真は3度目ぐらいの採血をしている所、この時は少し熱が下がっていた。)
第5ラウンド
セコンドが指示する。
「アガカーン病院に行くよ。」「へ?」「最悪入院ね。」「へ?」どうも治療薬が効いて肝機能に異常が出たらしい。リングが病院に移される事となった。今度は”薬性肝炎”パンチでも食らったか?結局入院決定。全ての攻撃(この場合、治療・薬)を止めて、防戦一方となる。入院決定はしたもののベッドが空いてないとかでしばらく待たされる。そして病室へ。タンザニア人と二人部屋。だるいのですぐ横になって寝る。夕食が来る。タンザニアの病院食はいかに?と思っていたら。なんと普段街で食べている。
”ワリニャマ”(タンザニアの一般的な料理でバターで炊いたような御飯に、油で煮込んだ野菜と牛肉のスープをかけて食べるもの)。「げー!こんな脂っこいもん食べるんか!」それでも食べない事には、と少し手をつけた。すぐやめる。第6ラウンド
朝5:00再びゴングが鳴った。やたら早い病院の朝。検温と血圧測定。もちろんタンザニア人看護婦。熱は驚くほど下がった。かなり体が楽である。朝食はパンとチャイ(タンザニアの紅茶)。すると、レフリー(この場合、医者。インド人。)がきて様子を見る。TKOではないようだ。(この試合、負けは死を意味する。)それどころか、明日まで耐えれば勝てそうな(退院出来そうな)気配である。相手の攻撃が止んだので体が楽になった。シーツの交換の時に病院のパジャマに着替えた。(なぜか知らんが、隊員で病院のパジャマを着たのは"おかたか"が初めてらしい?)パンとチャイではお腹が減るので昨日セコンドに持ってきてもらった
”おにぎり”を食べた。死ぬほどうまかった!!!しばらくして職員が「今日のお昼ご飯何にする?」「へ?」「お昼御飯、なに食べたい?」「…」ここでは昼食と、夕食は自由に(といってもタンザニア料理だが。)とられるらしい。お互い相手の出方を見ているのか戦いに進展はない。セコンドの指示は”ひたすら待て。”第7ラウンド
やっと終了のゴングがなった。とりあえずマラリアは去って行った。長かった闘病生活も一区切り。しかし、戦いのダメージは"おかたか"にとって大きすぎた。肝臓にかなりダメージがあるので4月まで
禁酒、禁バスケット。これは死刑宣告に近かった。そして肝機能がある程度戻るまでドミトリーで謹慎である。
ダメージ回復のため家には帰れず、ドミトリーで療養せよとの指示。せっかくだから仕事も忘れて休もうと思いきや、退院2日後、いきなり
”アッパーブロー”を食らう。左下の歯が痛い。精神的なものですぐに治まると思ったら四日間続いた。第3ラウンドでの呟きが現実になってしまった。セコンドの指示は「肝臓に響くので極力痛み止めは使うな。」また食事が出来なくイライラする日々が続いた。四日目に歯医者に行くと親不知が奥歯を押しているとのこと。抜歯をした方が言いといわれたがここはタンザニア。小さな手術でも恐い。結局肝臓に影響の少ない痛み止めを使って様子を見ることになった。翌日痛みが嘘のように消え、今に至る。おかたかより
記憶があいまいな所がありますが、大体の経過でした。
結構大げさに書いてしまったのですが、僕の場合軽度のマラリアでした。
発見が遅れて重度のマラリアだったらこんな冗談ぽく書けなかったでしょうね。
マラリアが落ち着いたあとの親不知には本当に参りました。悪い事って続くんですね。
でも、その後に痛みもなく眠れた時は幸せでした。
もう2度とこんな体験談をページにしたくはありません。(笑)
帰国ギリギリまでご迷惑をかけてしまった、”K”医療調整員に大・大感謝!!
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