”タンザニアの年末”

1999.3.20


おかたかより

初めて迎えるタンザニアでの年末。
ラマダンは始まるし、クリスマスは来るし、バスケットでは初めての公式戦。
どんな年末を迎えるのか楽しみでした。
不安要素もありました。いつまでたっても来ない電話線。全然はかどらない雨漏りの修理。
そのほかの行事。健康診断、同期隊員の訪問等。それでは12月編どうぞ。


 最近手紙が来ない。タンザニアでは各家庭に郵便物が配達されるのではなく、郵便局に設置された”P.O Box”なるものに届く。この”P.O Box”、1年契約でお金を払い鍵を借りるシステムになっている。お金がない人は知り合いと共通で使ったりしているようだ。郵便物を受け取るにはわざわざ郵便局まで行かなくてはならない。一応毎日確認しているのだが(たまたま通勤途中に郵便局があるので。)郵便物がないときにはむなしい。なぜか奥の方から風が吹いてくる。これがやけに寂しさをあおる。E-mailもいいが、手紙もやっぱり暖かく良いものだと感じる。

 

 左側がPOSTA(郵便局)。右側が”P.O Box”と呼ばれる郵便を受け取る棚。他の国でも同じ方法を取っている所もあるようだ。

 

 ”おかたか”の棚は847番目。住所はP.O Box 847,Zanzibar,TANZANIAとなる。

 健康診断のため、ダルエスサラームに行く。いつも他の隊員に喜ばれるので今回もがんばって前日にマグロをさばき、凍らせて持っていったが、今回は失敗。移動の途中で痛んだらしく、火を通さないと食べられなかった。残念。

 午前中、他の隊員とカリアコー市場へ出かける。ここはダルエスサラームで一番活気がある市場。所が犯罪も多いらしい。ある隊員は背負っているバッグをカッターで切られたとか、ある隊員はスリに会ったとか、被害が出ている所でもある。それでも値段が安いのと品数豊富なのでタンザニアの隊員は行くのである。あっちこっちに店があり、きょろきょろ出来て楽しい。しかし、楽しんでいるのもつかの間、ここでも嫌な事が起きた。ちょっと他の隊員と離れたら「mwizi!!」(スワヒリ語で”泥棒”)の声。聞き覚えのある声なので行ってみると、既に泥棒はいなかった。未遂で済んだのだが、ポケットに手を突っ込まれて財布を取られそうになったらしい。自分の身に降りかかるのは何時の事やら。また何も出来ず。悔しい。

 この日は健康診断。朝起きて、健康診断要項を見ると朝一で検尿、検便を取れとのこと。すっかり忘れていて、出発直前に取った。事務所に行く。採血、視力、身長、体重、予防接種は事務所で、レントゲンだけアガカーン病院(タンザニアでの指定病院)で行った。久しぶりの予防接種はなんだか痛かった。

 ドミトリーに帰ってきて昼を食べた。ふとある隊員が停電時に使うジェネレーターの話をした。なんだか今は誰も使い方が分からないらしい。そこで、動かしてみようと言う話になる。おっかなびっくりスターターを回す、ピクリともしない。あげく、ある隊員が沢山の資料の中から説明書を探し出して来てくれた。おかげで無事動かすことが出来た。「やったね、居間でテレビでも見るか。」なんて言ってる間に停電。人生うまく出来ている。しかし、肝心のテレビには電気がまわらないらしい。

9日

 今日は新隊員歓迎の日。しかし、朝から調子が悪い。風邪のようだ。健康診断の結果を聞きに事務所に行った。コレステロールと、中性脂肪が増えていたそうだ。肝機能と、虫は大丈夫だった。風邪薬をもらい、ドミトリーに帰る。新隊員のKaribu(スワヒリ語で”ようこそ”。この場合はそのパーティーを指す。)は一つ前の隊次が幹事をやることとなっていた。今までは現地の食堂でタンザニア料理の出来合いを注文していたらしいのだが、今回は全て手作りで行う事にした。14:00ごろ、新隊員登場。”おかたか”より年上の方もいるのだが、なんだか初々しかった。会場の準備はドミトリーにいる隊員みんな手伝ってくれたので予定より早くスタート。料理(写真)の方が不安だったが、みんなが美味しいと大皿から取っていく料理の減り様が嬉しかった。新隊員と少し話をしたが、みんな旅疲れが出ているようだった。

10日

 昨日の片付けはみんな手伝ってくれたので、早く終わった。”おかたか”の気分は今日の初公式戦のことばかり。予定通り10:00のSEA・EXPRESSでザンジバルへと帰る。同期隊員が二人休暇を取ってザンジバルに一緒に来た。二人とも楽しみにしていたようだ。早速、パッシングショーと言う食堂でビリアニを食べる。やはりうまい。Karibuでザンジバルの”K”隊員が作ってくれたビリアニも美味しかったが、ここもうまい。食事の後、ゲスト用の買い物をして家に帰る。久しぶりの我が家は嬉しい。

 一休みして、今日のメインイベント、初のバスケットの公式戦に出かける。調子はまずまず。スターターではなかったがなんとか出場。場所もいつもと違う場所で、観客も多かった。しかも審判もちゃんと二人いて、テーブルオフィシャルずもいた。驚いた。残念ながら負けてしまった。せっかく同期隊員が見に来てくれたのに出番があまりなかったので悔しい。
 夜はザンジバル名物の屋台(写真)で済ませ、あるホテルの屋上のバーで一杯。その後、家に帰ってカラオケ大会。3時間ぶっ通しでギターを弾いて疲れた。

 

11日

 昨日の疲れも何のその?今日は早起きで、プリズン島へ行く。Stone Town(ザンジバルの中心地)のはずれの海岸から船が出る。船頭はなかなか良い奴だった。プリズン島。到着して上陸料(?)を払うのだが、料金がレジデントと、ノンレジデントで違うので少しもめた。海は綺麗だった。ザンジバルに来て始めてシュノーケリングが出来た。大きな陸亀も見た。かなりはしゃいで、仕事も忘れ楽しんだ。

 

 

13日

 遊び疲れしてしまった。昼頃起きてごろごろしていたら。腹の調子までゴロゴロしてきた。完全に下痢。調子が悪いまま試合会場へ行く。試合はスタートで出たものの、なぜだかトラベリングばかり取られ、交代。後半もう一度出たが、調子が悪いせいか、疲れが早い。

 

 後半の終わりの方。審判の調子も悪くなる。感情的になって”おかたか”のチームメイトに対しテクニカル・ファール(体の接触のないスポーツマンらしくない態度を取った。)と、ディスクォリファイイング・ファール(退場。)。さすがにレンジャース(”おかたか”のいるチーム)の連中も熱くなって、5ファールを含め、4人退場。
 観戦していた
スパイダーズ(レンジャースの2軍)の連中は興奮して警察沙汰になるし、終了後、チームメイトが喧嘩を始めるしで、会場全体がすごくまずい、荒れた雰囲気だった。応援に来ていたほかの隊員と、すぐ逃げるようにして帰った。めちゃくちゃ疲れた1日だった。熱くなりやすい民族は恐い。

17日

 この日は出勤。一仕事済ませ、免許の書き換えの話を聞き(ザンジバルでは毎年免許の更新が必要である。)、少しお喋りして帰ろうと思ったとたんに土砂降り。職員室でテレビを見ながら止むのを待っていると突然テレビが消える。しばらくはタンザニア人達のやり方を見ていたが、やはり「おまえやって見ろ」になる。一応カバーをはずし、電源をチェックして、再度電源を入れたら直った。原因は不明だが、とりあえず映ったので面子は保てた。アメリカがイラクを攻撃したらしくみんなニュースを見ていた。雨が止んだので帰ろうとすると、「おまえはフセインの話を聞きたくないのか?」といわれた。こっちの国の人達はイスラム教徒が多いので、イラク側の考えかもしれない。少なからず、アメリカに対する敵対心はあるらしい。うっかりした事は言えない。日本人としての考え方が彼らを怒らせるかもしれないのだ。冗談ぽく「家事が溜まってるからね。」と言ってそそくさと逃げた。後で分かったのだが、日本はイラクへの攻撃を支持していた。危ない、危ない。シリアや、ジョルダンの隊員は一時首都に避難していたようだ。

おかたかより

ラマダン月齢で年末になると行うイスラム教の断食。新月から新月まで、朝4時ごろからのお祈りの時間から、夜7時くらいのお祈りの時間まで一切の飲み物、食べ物を口にしないというもの。(期間については自信がありません。1ヶ月ぐらい昼間だけ断食をすると思ってください。)厳しい所では唾も飲まないそうです。本土はイスラム教徒が少ないせいか昼間の生活に影響はないが、ザンジバルでは昼間にほとんどの食堂がしまってしまいます。営業しているのは外国人が泊まるホテルの中だけ。おまけに昼間ほとんどの人々がエネルギーを使わないようにダラダラしています。バスケットの練習も全然やる気がないようでした。

20日

 見事に家にいた。どこへも行かず、何も買わず。ただひたすらパソコン打って、ウクレレを弾いていた。平和だ。と言ってもラマダン開始日、ちょっとだけ付き合って見ようと考えたが、やめた。先日、あるおやじが「おまえもラマダンをやれ!」「いいよ、俺イスラム教徒じゃないし…。」「健康にいいぞ。腹もへっこむし。」「ははは」と、笑いつつその出た腹をド突いた。やっぱり”おかたか”には関係ない。

23日

 授業はないが、学校に顔を出す。校長の話だと屋根の修理の職人が家に向かっているそうだ。そう言えば朝、タンクの配管をいじっている職人がいた。町に出て換金して、免許の書き換えを行う。どこの国でもお役所仕事は遅くて面倒だ。昼頃家に帰ったが、もう職人達はいない。タンクから水を抜くだけ抜いていなくなってしまった。”おかたか”の家。水は屋上のタンクからしか供給されない。地下のタンクから大家がポンプで上げてくれる。つまり今は家のバケツにあるだけしか水がない。また不安になってくる。この日届いた家からの手紙によると日本にいたときに良く行った焼肉屋が閉店になったようだ。日本に帰ってからの楽しみが減って残念だ。

24日

 朝起きて学校へ。家の屋根の話と、電話の話を校長にしてみる。あまり言い返事ではなかったが、とりあえず家に帰る。屋根修理の職人達が来ていた。屋上でタールを溶かし、ゴム板を轢いていく。はじめのうちは見ていたが、暑くなったので家に戻った。昼寝をしていると大きな音が聞こえ、また上に行く。昼過ぎ、なんだか知らんが疲れたと言い、その日の仕事は終わった。明日また来るそうな。いったいいつになったら終了するんだろう?これが終わらないとタンクの配管をして貰えそうにない。そりゃそうだな。タンクの下にも轢くんだもんな。夜は”K”隊員と二人で寂しいクリスマスイブを迎えた。日本のようにあちらこちらにカップルがいるのならかなり寂しくもあったが、ザンジバルではそんな盛り上がりはない。ヨーロッパからクリスマスの休みを利用して観光に来る人達はそれぞれに盛り上がっていたようだった。

27日

 雨漏り修理がいつ終わるのか分からない。聞くとある材料が足らなくなったが今手持ちに金がない。とか、腹が減ったからすぐ疲れるだとか言う。金を貰って仕事をしていると言うのに全然責任感がないようだ。怒ってもしょうがない。もうバケツの水は尽きる。学校も休みなので洗濯物を抱えて首都へ逃げる事にする。水があれば工事の行く末を監視したいのだが…。 


おかたかより

 12月の日記を見てみると、晴れ時々雨の印が多くありました。。
雨もヤケになって泣いている子供のように降るので傘などはあまり役に立ちません。
家の心配がなければタンザニア国内を旅行したかったのですが、
電話局からの通知が来ていたらすぐに手続きをしないと、また回線が一杯になりそうだし、
屋根の修理は気になるしでやきもきしていました。
ドミトリーで久しぶりに浴びたシャワーは気持ち良いものでした。


 [目次] [前へ] [次へ]