”さぁ!ザンジバル”
1998.12.25
おかたかより
いよいよ本番、どんな家に住むのか?どんな仕事場なのか?
みんなが羨ましがる「ザンジバル」っていったいどんなとこなんだろう?
ここからが勝負。誰も助けてくれない…。
(なんてね、結構いろんな人に助けてもらった。)
19日の夕方、日本からI所長代理がタンザニアにみえた。ダルエスの中心の中華料理屋で夕食会。結構おいしかった。日本からのお土産はインスタント麺と、パックの日本酒。みんなこぞってキープしていた。そろそろザンジバル行きのことを考える。ザンジバル先輩隊員のKさんが言うにはそんなに心配しなくても良いそうだ。
21日に教育実習があった。僕は物理で「光の合成」をやれとのこと。ちょっとカテゴリー違いだけどしょうがないか。当日の朝、目覚ましをかけたはずが寝坊だ!!すでにC.C(調整員)が迎えに来ていて速攻で着替える。眠い・・・7:30頃、実習先の学校に着く。女子高だ。日本だったらどんなに良いことか・・・(笑)。早速朝礼で挨拶をさせられる。授業は英語でやれと言われていたのに、何で挨拶はスワヒリ語なんだ?その後は授業参観。何?電気をやるんなら何で俺に光なんかやらせるんだ?こっちのほうが専門なのに・・・。
終わってからいよいよ自分の番。出だしは快調だと思っていたが、生徒の反応のなさにちょっと拍子抜け。ペースはちょっと速いようだ。残り15分、ついに力尽きた。事前の準備って大切なのね。面倒くさいなぁ。後で思ったが、この学校は結構教材がそろっているようだ。そんなんだったら教えておいてくれれば良いのに・・・あぁ疲れた。昼飯を食って、今度はタンザニアの教育制度の説明。半分ぐらいしか解らん。もう帰りたい。やっと15:00終了。ドミに着いてからショッパーズへ買い物と換金、このときとうとうパスポートを換金所に起き忘れるという失態を犯してしまった。(タンザニアではT/Cの換金に、パスポートを提示しなければならない。)疲れているんだか、ボケているんだかわからない。気をつけないと。
24日は「おしゃべりなタンザニア」の著者、木村栄子さんから話があった。それから無線の講習と、貸与備品の貸し出し、MCとの面接があって終了。帰りに昼飯をと「BEST・BITE」なるファーストフード屋へ行く。無愛想で、ハンバーガーなどは僕らの口に合わない。その日の夜、「同期隊員で一緒に御飯を食べるのはしばらく無くなるな」と言うことで日本食を食べに行こうとSLIP・WAYへ。ところがどっこい、閉まってやんの。しょうがないから海辺のバーでkwaheriパーティー。(kwaheri:スワヒリ語で「さよなら」の意味。)明日はいよいよ出発。何が待っているのやら・・・
25日いよいよザンジバル行き。朝7:00頃起きて、最終準備。10:00、ピック・アップを探しにタクシー乗り場に行き、またまた値段交渉。朝から鼻水が出て辛いのに・・・そして港へ出発。港ではポーターが群がり
「俺にやらせろ」とうるさい。ついでに港のオフィサーが「手荷物は1個だけとチケットに書いてあんだろう?」と言って根拠もなく、2万だの1万だの払えとうるさい。しかし、負けずに「そうは書いてあるけど、何キロでいくらか書いてないじゃんか!規約書でも見せろ!」と反撃。約1時間もめたあげく無料。12:00出航。船内は冷房が効いていて寒かったが寝た。13:30到着。ミクングニの校長が迎えに来てくれた。初めて会うので、声を掛けられたときに”タクシーだ、ポーターだ”などと寄って来る輩と思い、いきなり「いらん!」と言ってしまった。恥ずかしい…。その後税関を通り我が家へ。(ザンジバルは一応一つの国なので、本土から来るときはイミグレーションなどを通る。)一人で大きな家にいるのは落ち着かない。他の人はどうしているんだろう?きっとがんばってるんだろうなと思うと自分だけなんとなく情けない気がする。困ったねぇ。変圧器を試す。良い感じだがたまに苦しい音がする。パソコンが壊れなければ良いが・・・
次の日、早速出勤。9:00に迎えに来るというので待っていたがなかなか来ない。20分ぐらい過ぎて校長登場。そして学校へ。一通り挨拶して今後の話などをする。途中、役所などに連れて行かれ、滞在の手続きをする。そして昼は校長の家で再びご馳走に。1日何もしないで終わった気がする。電話は12月だそうな。電気関係は壊れずに何とか動いている。早く冷蔵庫がほしい。いつになるのやら・・・本当に何もしていないのに疲れる。とりあえず英語をどうにかしなくては。
ザンジバルでの初週末。掃除や片付をし、買い物へ。街はにぎやかでどこに何があるかわからない分、たくさん歩かなきゃと覚悟した。値段の感覚も無ので、ふっかけられないように気が張る。今日の目的は電気ポット。ぶらぶらして台所用品もめぼしをつけ、やっとポットを見つける。その後、バケツとシーツを買う。家に戻り水を貯め、ウキウキしながらポットを出すとこれがまたプラグが違うんでやんの。まいったね。いやんなってギターを取り出し弾いたがちょっと空しい。一人暮しの寂しさがやっとわかった今日であった。情けない・・・夜になってちょっと英語の練習でもしようと持ってきた英語学習ソフトを試す。発音の悪さにパソコンにまで馬鹿にされているようで悔しかった。スワヒリ語もやらねばと、練習張を読みながらゴロ寝。何やってんだか・・・
ある日街を探索しようと港のほうをふらつく。結構入り組んでいて迷う。買い物に行こうとメインロードに行くつもりがなかなか出ない。歩いていると、イリンガであったオーストリア人に会う。へ〜こんなことってあるんだ。ちょっとうれしく思う。その後、洗面器などを買い、家に戻る。物が増えてきているのでなんだかうれしい。お湯を沸かしてみる。電気調理器は温度が上がるのが遅い。(タンザニアではボンベが盗難に遭うためか、ガスの調理器はあまり見かけない。現地人はもっぱら炭を使う。)電気ポットは怖いくらいに早く沸く。そうこうしているうちに水が止まる。1階のSAIDIさんに聞くと3週間くらい止まっているらしい。げっ!!タンクの水使っちまった。どうしよう。あらためて昨日汲み置きしておいたことにホッとする。ギターを持ち出す。さだまさしの「風に立つライオン」はアフリカ隊員にとってかなり厳しい内容だ。泣けてくる。
おかたかより
ザンジバルに来てからの1週間。右も左もわからず、ただ盗難におびえていた気がする。
おまけに家財道具が無い上に、飯屋も近くに無い。
晩飯をどうしようかと思っているうちに日が暮れて外に出られず、
朝買ったパンをかじってすごしました。
他の人はもっと器用にやっているかと思うと情けなくなりました。
冷蔵庫があって、食料が保管できて、水が出るようになると本当に嬉しかったです。
かなり自分の甘さを気づかされた1週間でした。
それゆえ、写真を撮る余裕もありませんでした。
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