♯ 仕事の話 ♯

1999.7.24


おかたかより

他の隊員に比べ、大したことやっていないのですが、
これも税金を使っている者の定め、ちょっと活動の様子など書いてみようかな…。

ちなみにこのページの背景は僕の所属先
”Mikunguni Technical Secondary School”
の校章です。


 通勤

 家を出て歩いて2分ぐらいのバス停に行く。バス停と言っても標識も何も無い。ただその辺に止まるだけ。バスは”ダラダラ”と呼ばれ、写真の様にトラックの荷台に幌と椅子をつけたもの。このスタイルはザンジバル特有の様だ。本土ではワゴン車を使っている。だいたい一律料金。
 ザンジバルのダラダラは路線によってアルファベット、もしくは数字が与えられる。"おかたか"の家は
”ストーン・タウン”と呼ばれる島の中心街から空港に向かって車で15分くらいのところ。空港とストーン・タウンの間ぐらいにある。空港行きのダラダラは”U“(Uwanja wa ndegeの頭文字。スワヒリ語で空港のこと。空港行きのダラダラと言う意味があるらしい)。とりあえずこれに乗って街まで出る。

 タンザニアのダラダラは共通して時刻表が無い。バス停でお客がある程度乗るまでひたすら待つ。待ち合わせギリギリに出ても間に合わない事が多い。おかげで15分で行けるはずの所を25分ぐらいかけて行く。
 右は車内の様子。日本のオバタリアン(もう古いか?)もまっつぁおの隙間にお尻のでかいタンザニアンが座ってくる。小学生以下の子供はただらしい。そして車内が込んでくると席を立ち、床に座るか、他の大人の膝に座る。そんな光景は微笑ましい。もう一つ気づいた事があった。タンザニアでは順序と言うものが無いらしい。奥から座って行けば苦労しないのに、みんな好き勝手に乗る。車内が混んできても一番奥があいていたりして足を踏みつつ進んで行く。
 そして
”Darajani”と呼ばれる街の中心につく。ここは全ダラダラの出発点である。ここで"おかたか"は”A”(Amaniの頭文字。Amaniとは地名)のダラダラに乗りかえる。ここで下手に空いているダラダラに乗ってしまうといつ発車するか分からないので、ギュウギュウ詰覚悟で混んでいるのを探す。そして郵便局遊園地を経て学校のそばのバス停で降りるのである。

 タンザニア交通事情

 とにかく日本車が多い。直接入ってくるもののあるらしいが、他の国で使っていたものを更に輸入する事もある。ウインカー、ストップランプは点かない、ルームミラー、サイドミラーなんて無くて当たり前、フロントガラスにヒビが入ってたり、イグニッションを直結している車もある。
 商売をするバスとタクシーは一応免許も違うのがあって、きちんと登録しないとナンバーがもらえない。もちろん日本で言う”白タク”はいる。
 日本でのペイントはそのまま。「○○幼稚園」、「○○造園」挙句には「○○病院」と書いてある救急車までダラダラで使われている。(これは本土の話)一度乗ってみたいのだがチャンスが無い。

 道路は日本や、イギリスの援助で作った舗装道路が多い。と言うわけで右側通行。本土では日本の援助が多いので見なれた信号機であるが、ザンジバルはイギリスの援助が多かったらしくイギリス製の信号機がついている(今は動いていない)。中央分離帯に街灯まで付いている所もあるが、電気代が無いので無意味。首都では朝夕の通勤渋滞があるが、ザンジバルは無い。街の中心のバスロータリー当たりは交通量も多いが渋滞にはならない。制限速度は無いらしい。追越も自由。たまに逆走している事もある。バイクもヘルメット要らず。道路は穴が多い。水はけも悪い。牛や、ヤギがたまに邪魔をするなど、いつ事故に遭うか分からないと言う状態です。写真は事故を起こして二日後ぐらいのダラダラ、すでにいろいろなパーツが外されていた。


おかたかより

とにかく日本車の丈夫な事。良く動くなぁと感心しています。
タクシーなんかはいつも燃料をギリギリにしておいて、お客を捕まえてから入れています。
流しのタクシーなんていません。
そう言えばオートマチック車は見かけないなぁ。
きっと直せないんだろう。


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