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〜その1〜

2000.6.1


《ザンジバルの祭り、ムワカ・コグヮ》

 ムワカ・コグヮというスワヒリ語を直訳すると「年を洗う」となります。毎年7月23、24日あたり(イスラム暦なのでちょっとずれる)に、ザンジバルの南に位置する「マクンドゥチ」村で行われるこの祭りは、日本で言う無病息災、豊作祈願のようなものであり、村が北と南に分かれて戦う祭りであります。
 どのように戦うのかというと、バナナの葉(と言うより茎)でたたき合うのであります。事の起こりは記録されておらず、植民地時代は村を二分して本物の木の棒でたたき合っていた(勿論、死人なんかも出たらしい・・・)のを、独立後政府があまりに危険なためそれを禁止し、棒の代わりにバナナの葉でたたき合うようになったのが現在に至っています。

 マクンドゥチは南の楽園ザンジバルでは珍しくホテルが無く(安いゲストハウスは有る)普段、外国人は殆ど訪れず島民ですら行くことは稀ですが、この日ばかりは「ストーンタウン」と呼ばれる島の中心地からそこに住む人々がドッと押し寄せてきます。祭りの前日にタウンを観光していると「祭りを見に行かないか」と客引きに声をかけられ、当日聞いたことも無い村へと案内される訳であります。
 そしてその村の広場へ案内されますが、祭りの始まる時間ははっきりしません(この辺がいかにもアフリカらしいが)、それでも朝9時頃から観客が集まりだします。祭りの始まりの合図は北側、南側の男たちが名乗りをあげてる、と言ってもそんな大層なものではなく、バナナの茎を抱えた一群が、何やら合唱しながら会場である広場を一周したら戦闘開始です、「いつの間にか始まっている」と言った方がピンとくるかもしれません。

 参加者は基本的にこの村の若者です、でも絶対という決まりではなく血の気の多いおじさんや、同じく祭り好きのタウンの若い衆が北か南に加勢して結構な大人数になります。
 広場の回りには見物客が幾重にも重なって並び、後ろの方は車の屋根の上に登ってまで見ようとする人でいっぱいです。そして一番の特等席である広場の真ん中に生えている木には、朝早くからの席取合戦?で勝った人々が鈴なりになっています。
 私たち観光客はその木に登る訳にはいかないので(朝早くから子供たちが登っている。でも交渉次第で譲ってもらえる)下で見ることになりますが、出来れば前の方に行くことをお勧めします。この戦いは「武器をもって無い者、戦う意志のない者は叩かない」というルールがあり、目の前で叩き合ってるのを安心して見たり、写真を撮ったりすることが出来るからです。

 逆に言えば武器をもった時点で祭りに参加したことになります。興味がある方は目の前を行くタンザニア人に頼んで武器であるバナナの茎をもらってください。手渡してもらったその瞬間、あなたはタンザニア人を叩く権利を得る訳ですが、タンザニア人も同時にあなたを叩く権利を得ることになります。私も興味本位で武器をもらいましたがタンザニア人を叩く暇も無く、回りの人に叩かれまくりました(一応、決闘は一対一というルールが有るが、このときはまるでリンチだった・・・)バナナの茎と言っても、繊維質のものなので二回も叩けばボロボロになります。見ているとバシバシ叩き合ってますがダメージはそれほどでもないようです。しかし、やはり最初の一回はとても痛い。これは私が「身をもって」体験したことなので確かです。背中や肩にアザができたほどですから・・・。

 

 この祭りの間女の人達は何をしているのかというと、叩き合ってる回りを歌というか掛け声というか、みんなで何やら大騒ぎしながら走り回ります。これは特に祭りとは関係ないようですが、アフリカ人の血が騒ぐのでしょう、じっとしていられないようです。で、彼女たちが何を言っているのかというと、村の長老たちが聞いたら怒り出しそうな、というより普段なら彼女たち自身が赤面してしまいそうな事です。例えば「ゴムをしないとエイズになっちゃうよ。」みたいなこと。これはまだ上品な方で、下品なほどよいらしく、ここには書けないような言葉が飛び交います。やはり祭りには人を「ハイ」にさせる作用があると感じるとともに「どこに行っても女性は強い。」とつくづく思いました。

 このままではこの祭りも収拾がつかないので、よい頃合いに村の長老たちが祭りの「シメ」に取り掛かります。広場で戦っている男たちの端で「キバンダ(スワヒリ語で”小屋”の意味)を作り始めます。まず人がそこにしゃがみ、その回りに木の枝で大体の形を作り、そしてそれにヤシの葉で壁を作っていきます。たいして大きい物ではなく、高さ二メートルの三角錐が30分ぐらいで出来上がります。
 物珍しいので近付いて写真を撮っていると「下がれ下がれ」と注意を受けます。別にそれ自体は写真に収めてもいいのですが、これから始まる儀式の為に道を空けておかなければならないのです。で、道を空けて待っていると向こうの方からライフル持った警官に囲まれた一群がやって来ます。この儀式のために毎年偉い(ザンジバルの)人が呼ばれるのです。98年はザンジバル大統領の奥さん、今年99年は日本で言う知事みたいな人が呼ばれました。

 で、何をするかというと先程作った「キバンダ」に火を付けます。周りに置いた枯れ草に付けるのですがすぐには燃え移らず、もくもくと煙が出るだけですが、もちろん中には人が入ったままであります。昔は生け贄として本当に燃やされたのかもしれないなぁ・・・。なんて事を考えてる間に本体の方にも火の手が!!と思いきや、中の人は一目散に逃げて行くではありませんか(そりゃぁ、死んじゃうからねぇ)。後で聞いたところによると、火を付けることによって悪魔が森に逃げて行くんだとか。そして「ムワカ・コグヮ」の終わりとなります。

 この後は家に帰って普段よりちょっと豪華な食事をしたり、ディスコ(と言っても回りを幕で囲んだ中でラジカセを鳴らすだけ)で踊ったり、海辺でくつろいだりします。あれだけ叩き合ったのに終わるともう仲良く笑い合ってたりするのは僕らがタンザニア人に見習わなければならないところですね。でも、地元の祭りで外国人(観光客)がこれほど近くに寄れるのは珍しいのではないでしょうか。

と言う訳で、興味あるかたはぜひ、
KARIBU ZANZIBAR(おいでませ、ザンジバル)


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